映画「聖の青春」がもうすぐ公開されるということで久しぶりに「聖の青春」を読みました。

本当に壮絶な人生に大感動しました。

奇跡の連続でトップ棋士に上り詰めた村山聖の人生には頭が下がります。

今回はこの「聖の青春」の簡単なあらすじと私の個人的な感想をまとめます。

「聖の青春」のあらすじ(ネタバレ注意)

ちょっと長くなりそうですが、まずはあらすじをまとめます。ネタバレ要素あるので注意してください。

 

幼少期の村山聖

村山聖は広島県府中市に生まれた。1969年6月15日生まれ。

最初は普通の子供と同じく活発な男の子でした。

3歳ぐらいまでは元気だったがちょっとしたことで熱が出るようになり、それが町医者では風邪と診断されていたので両親も油断していたらしい。

顔がとんでもなくむくみ、さすがにおかしいと5歳の時にかかった広島市民病院では腎ネフローゼと診断されます。両親はもっと多くの病院にかかっておけばと後悔。そしてずっと息子に負い目を感じるようになります。

入退院を繰り返し、どうにもうまくいかない村山聖はかんしゃくを起こすこともしばしば。両親もどうすれば良いのか分からないことも多かったようです。

当初は入院している間は読書が多かった。読書のスピードが桁違いに速いので多くの本を与えても足りないほどでした。

その後、入院している村山聖に父の伸一は暇つぶしになればいいということでいくつかのゲームを教えます。父の伸一もほとんどやったことが無かったという将棋もそのうちの1つ。

しかしながら、そこから村山聖の人生が大きく変わりました。

閉塞感を感じることがほとんどの病院で将棋のことを思い出し、高揚感に眠れない日も。

そして、3回目の入院の時にいつもとは違う将棋の本を母親に注文します。最初に読んだのは加藤治郎名誉9段の「将棋は歩から」らしい。

将棋を1回しか指したことがない初心者、しかも小学生1年生には難しすぎると思われる本だがそれを読破(大人でも将棋にあまり興味がなかったらきついです)。

それから将棋の本を独学で読むようになります。

養護学校に入ることになり両親と離れるが毎日1人で本を読み、同じく養護施設にいる子供と将棋をすることも。一人で何時間も本を読んで勉強し友達と将棋を指すという日々を繰り返します。

その後、外泊許可をもらった時には強い人と相手をしてもらうようになります。ほとんど実戦経験が無いので最初は負かされるのですが、すぐに良い勝負をするようになる。そして、9歳の時には3段の人とも良い勝負をするようになりました。

独学で勉強してここまで強くなることは驚異的。

そして、少しずつ強い敵と戦い勝つことによって将棋の腕前はどんどん上がる。

最初に認定されたのが10歳の時の4段。本を読んだだけで、それほど実践経験が無いのにここまで強くなるのは異例中の異例。

その後、地方に敵はいないということで全国大会にも出ますがトーナメント1回戦で佐藤康光(のちの名人)に敗れます。その大会では佐藤もそして後の7冠羽生も参加していたがその両名ともにトーナメントで負けています。やはり全国の壁はまだまだ厚い。

小学生6年の時には森安秀光と飛車落ちで対局、初めてのプロとの対局にも物怖じせず勝利。

プロへの憧れも強くなっていきました。

 

プロになることを決意

その後、中学になった村山聖は一つの決意をします。

それは谷川浩司を倒して名人になるということ。周りの大人を説得してプロになる決意を固めます。

その後、親は師匠探しをします。将棋会では師匠がいないとプロになれないと聞いたからです(師匠がいないとプロ育成機関の奨励会に入れない)。

最初、広島でお世話になった篠崎に連絡を取るが「まだ早い」と言われ、他の人をあたりました。しかしながらここからが大変。

次に他の筋から森信雄六段を紹介してもらって師匠が決まって奨励会試験も通りました。

順調に進むかに見えたのですが篠崎が手を回していた先のプロから待ったがかかったのです。そちらは大御所で筋が通らないと怒り出したのです。

篠崎はまだ早いと言いつつも良かれと思って大御所のプロに話を通していたのです。

大御所から見れば森信雄(当時四段)の存在は小さいもの。森から直談判しても「これ以上、この話をしたら斬るぞ(将棋会を追放するぞ)」とまで言われたそうです。

ここまで言われたら森信雄六段もどうにもならない。

これで村山聖のプロへの道は絶たれたかのようでした。

しかしながら、森信雄は諦めない。ほうぼうに土下座までして頼み込み、ようやく1年後に再度の奨励会試験を受けるを許してもらいます。

一方で村山聖は1年も足止めをくらってはプロになるのは厳しいと再び塞ぎこみ病気がちに。そして、入院することになります。

 

森信雄師匠と村山聖の共同生活

森信雄はそんな村山聖を大阪に引き取ることを決意します。奨励会に入る前の段階から引き取るというのは異例でしょう。

それを伝え聞いた村山聖に再び光が戻りました。

その後は村山聖は奨励会に入る前から大阪の森信雄と一緒にに住むようになります。普通に考えればあり得ないことでここからも森信雄という人間の素晴らしさが見えます。

そこからは森信雄が親代わりとも言える共同生活が始まります。

病気がちだった村山聖との生活は本当に大変。

自転車の乗り方を教えたり、髪を切りたがらない村山聖を床屋に引っ張り出したり。

村山聖の体が弱いので40度以上の熱をだすこともしばしばで看病したり。

師匠が何故か弟子の村山聖の下着を洗うことも。村山聖に頼まれて少女漫画を買いに行くことも。

頭を洗いたがらない村山聖の頭を洗うことも。

どちらが師匠か分からないような生活を続けます。

森信雄が親代わりと言っていいほどの生活を続け村山聖は1年後に奨励会試験に合格します。

森信雄以外の人間だったらこの生活はあり得なかったことでしょう。

(奨励会はプロへの入り口です。アマチュアトップレベルの四段から五段は奨励会の5~6級ぐらい。そこに入ってからも大変。年齢制限(確か26歳ぐらい)のうちに四段になれないと奨励会を追われ、プロへの道は絶たれます)

 

村山聖、プロ(四段)になる

奨励会に合格した後は村山聖は広島に戻り、対局の時に大阪に出るという生活になります。

その後は驚異的なスピードで勝ち上がり、17歳にしてプロになります。

奨励会に入ってプロになるまではわずか2年11ヶ月。それは谷川浩司や羽生善治をも超えるスピード。

病気がちで不戦敗なども含めての成績なのでまさしく驚異的でした。

 

A級棋士に

その後は順当に勝ちつ進むも、やはり病気での不戦敗や長時間対局は体調との戦いもあって不利ということで成績は思うように伸びず羽生善治に遅れをとることになります。

しかしながら相手棋士との戦い、病気との戦いをなんとか勝ち進みA級にまで昇格。将棋の順位を決める棋戦でトップ10に入るところまできたのです。

このA級で優勝すれば名人への挑戦権が手に入ります。

とうとう名人と戦えるところまで来たというところで今度は癌におかされます。

手術をして復帰するものの癌が再発。

29歳という若さで亡くなられました。

本当に残念です。

 

聖の青春を読んだ感想

私が聖の青春を読んで最初に思ったのは村山聖は奇跡の連続で将棋のプロになったということです。

病気でなかったら将棋とは出会わなかったかもしれません。

病気でなかったら、それほど将棋にのめり込むことは無かったかもしれません。

将棋のために生まれてきたような男です。

その後村山聖は病気と闘いながら成長を続けたわけですがそれには周りの支えが本当に大きかった。プロになることを許して全面的に応援してくれた両親は本当に大変だったことでしょう。

ども道でもプロを目指す子供の親は大変だと思いますが、それに加えて病気のこともあるので明らかに普通よりも大変です。

お母さんは病気の子供が大阪に単身渡るということで本当に気が気でなかったと思います。倒れた時には新幹線で大阪に行き看病するなど体力的に本当に大変だったろうと思います(本人も被爆した関係で体は強くない)。

父親も大変だったでしょう。

この両親の献身的な支えがあったからこその村山聖です。この両親の献身的なささえだけでも奇跡的だと思います。私は両親も賞賛したいと思います。

そして、忘れてはならないのは森信雄師匠です。この師匠に出会えたのも奇跡だと言えるでしょう。他の師匠だったら村山聖はプロになれなかったでしょう。

森信雄は親子とも言えるほどの愛情を村山聖に与えます。

師匠が森信雄でなく大御所だったら?プロになる前に追い出されていたことでしょう。

森信雄師匠と接点を持ったことで村山聖の奨励会入りは1年遅れたかもしれませんが、それも村山聖がプロになるための最短コースだったのだと思います。1年遅れで済んだのも森信雄師匠が各方面に土下座して回ってくれたおかげです。

そう考えると、森師匠に出会えたことも奇跡だったと言えるでしょう。

そして森信雄の人間性は本当に素晴らしい。何とも言えぬ愛情にあふれた人間です(一見、変なおじさんにしか見えないらしいですけど)。本当に賞賛すべきだと思います。

村山聖本人もその恩に報いるべく、懸命に努力を続け、病気とも闘いA級棋士にまでなったのは本当に見事としかいいようがありません。

将棋界最強と言われる羽生善治の最盛期に互角の勝負をした数少ない棋士がこの村山聖です。本当に強かった。

病気で早くに亡くなられたのが本当に残念で仕方がないところです。

もし村山聖が病気でなかったら、元気だったら羽生善治のように多くのタイトルを取れたのではないか?という声も聞かれます。

私もそう思うことはしばしばありますが、やはり村山聖の人生を振り返ると病気も村山聖の一部だったのだろうと思います。

先にも書いたように病気が無ければ将棋と出会わなかったかもしれないし、出会ったとしてもそれほど真剣に向き合うことも無かったかもしれない。

そして、森信雄師匠に出会わなかったかもしれない。そうなればプロになる前に何らかの形でふるい落とされた可能性が高い。

そう考えるとやはり病気でなかったら?とか健康だったら?という仮定は意味がないものとさえ思えてきます。ある意味、プロ棋士村山聖が誕生する上では必然だったと言えるでしょう。

ただ、惜しむらくは、もう少し節制していたらとは思います。

村山聖は将棋のプロであると同時に普通の青年でもありました。それ故に普通の青春を送ることも夢見ていました。好奇心も旺盛でマージャンや酒にも手を出しました。

結果論かもしれませんがもう少し節制して将棋だけに没頭して体を労わればまだ先があったのでは?という気はします。

でも、それも含めての村山聖であり後先考えなかった故に強かったのかもしれませんけどね。

私達は健康であるならばもっと健康のありがたみを感じるべきでしょうし、何らかのハンディがあったとしてもそれに負けてはいけないと強く感じた次第です。